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アフガニスタン、ダリー語について

童話『ハトとカラス』<前編> کبوتر و زاغ

bird

David MarkによるPixabayからの画像
2019年8月21日最終更新
 

 

こんばんは。

今日は童話『ハトとカラス』« کبوتر و زاغ » (kabotar wa zaagh) を紹介します。

この童話も以前の記事、カーブルの本屋さんで紹介したSHAH M BOOK COからいただきました。

 

この童話の何が良いって、絵がとても可愛いのですよ。
鳥の目つきが表情豊かで好きです。
優しいだけとは違う色々な意図を持った目というか、目力が半端なくて、読んでいて楽しかったです。

 

shahmbookco.com

 

 

冒頭のあらすじ

ある日、ハトの母親が子バトに飛び方を教えていました。

子バトたちはまだ飛び方を練習しています。

そうこうしているうちに、ハトの親子は大きな木にたどり着きました。
木の枝の中には空っぽの巣もあります。

巣の中に入って子バトたちが鳴いていると、そこにカラスが現れてハトを攻撃しました。

母バトとカラスは言い争いましたが決着がつきません。

「こうなったら森の鳥をみんな集めて、お前たちハトを全員この森から追い出してやる」とカラスが言って、鳥たちが集められました。

その後、集まった鳥たちはカラスと母バトに質問を投げかけます。

(後略)

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さまざまな鳥や動物たちが暮らす森で、どうやったら仲良く暮らしていけるのかというのがテーマになっている童話です。

アフガニスタンも多民族国家ですから、この童話は現実を投影している部分もあるのかもしれません。

 

本は全部で34ページです。
物語を読むと、ストーリー展開があるので楽しいです。
今回も色々なダリー語の表現がありました。

 

特に勉強になったフレーズ

 

چوچه‌های کبوتر در آشیانه غمبرک می‌زدند.۱
(‍子バトたちは巣の中でポッポッポーと鳴いていました。)
 
(和訳は拙訳。以下同様。)
  
鳴き声がغمبرک(ghumburak)とは、可愛すぎます。
でも確かにそう言われてみると、そんな風に鳴いている様な気もします。
子バトの鳴き声なので「小さい」を意味する接尾辞 ک(-ak)が付いているそう。
鳴き声にも付けられるとは知りませんでした。

 

 

زاغ یک چوچه کبوتر را به زیر انداخت و یکرنگ چیغ می‌زد.۱
(‍‍カラスは一羽の子バトを地面に落として、ずっと叫んでいました。)
 
 
یکرنگ (yakrang)は一色、同色という意味から、ここでは「単調、ずっと」という意味になります。
 
 
 
زاغ غالمغالی گفت به من چی که تو چوچه‌هایت را پریدن یاد میدهی.۱
(‍‍うるさいカラスは言いました。お前が子バトに飛び方を教えるのは、俺には関係ない。)
 
غالمغال (ghaalmaghaal) は、イランのペルシア語辞典には掲載されておらず、ダリー語特有のようです。意味は「騒ぎ、騒音」。
イランとアフガニスタンのペルシア語のجار‌و‌جنجالに相当します(ダリー語・ペルシア語用語集調べ、以下同様)。
 
※追記  جار‌و‌جنجالはイランのペルシア語と書いたのですが、実際はアフガニスタンでも使われているそう。つまり、アフガニスタンではغالمغالجار‌و‌جنجالも使えると教えてもらいました! ダリー語は語彙が豊富ですね。
 
上の例文では、غالمغالیが付いて形容詞化しています。
 
あと、こちら。
 
به من چی (ارتباط دارد)   (ba man chi ertebaat daarad)
私に何の関係があると言うのか。
 
 
この表現は、日常生活で使えそうですね。
(といってもあまり使いたくないですが。ちょっとした修羅場ですね・・・・・・)
 
英語でもそうですが、簡単な単語だけを使った日常表現は難しいです。
知っていれば何でもないことなのに、知らないと永遠に悩むという。
今はインターネットもありますし、フレーズ検索で探しやすくなったと思いますが、覚えたい表現です。
 
بدون جنگ و غالمغال روزتو تیر نمی‌شود.۱
(‍‍直訳:けんかと騒ぎなしでは、あなたの一日は過ぎない。
訳2: あなたの一日には、けんかと騒ぎがつきもの。)
 
 تیر شدن (teer shodan)もダリー語特有の表現です。
同じ意味の他の表現として、イランとアフガニスタンگذشتن ‍ (gozashtan)(過ぎる)も使いますتیر  (teer)の意味が「矢」のなので、「光陰矢のごとし」的な発想で意味が覚えやすいです。
 
همه پرسیدند که چی گپ است؟۱
(‍‍皆が尋ねました。どうしたのですか。)
 
この表現も覚えたいです。頻繁に日常会話で使えますね!
 
あと1、2回に分けてこの童話のフレーズの復習をしたいと思います。
やっぱりダリー語は面白いです。

ではお楽しみに。
 
<追記>
後編はこちらです。

心を寄せ続ける

primula

Photo MixによるPixabayからの画像

 

こんばんは。

今日は時間を作って、図書館に行ってきました。
(ああ、「昨日」の話になってしまいましたね・・・・・・今零時すぎです。)

お昼頃は少し雨が降っていて、とても爽やかな雨でした。
こんな雨もあるのですね。

雨と言っても、降る土地と季節によってさまざまですね。
ここでは少々の雨なら、鳥はさえずり続け、人も傘をささずに雨を纏って歩いています。


今日行った図書館には、アフガニスタン関連の本が100冊以上所蔵されていました。
読んだ中で、特に良かった本を2冊紹介します。

 

児童書 『アフガニスタン (目で見る世界の国々) 』

 

1冊は、児童書のコーナーにあったアフガニスタンの本『アフガニスタン (目で見る世界の国々) 』(メアリー・M. ロジャース著)です。

 

アフガニスタン (目で見る世界の国々)

アフガニスタン (目で見る世界の国々)

 


児童書と侮る事なかれ。大人にもお勧めです。

内容は非常に分かりやすく、全体が網羅されています。
国土(地形、動植物、気候など)、歴史と政治、文化(民族、言語、芸術、娯楽など)、経済(農業、鉱業、林業、工業など)など多岐に渡ります。

この本では、ブズカシも、民族舞踊のアタンも、伝統的なご飯のパラウも紹介されていました。

写真と図が多用されているので、イメージがしやすいです。短時間で読めます。
今まで読んだアフガニスタン関連の書籍の中で、最初に読む本として、こちらをお勧めしたいです。(10年以上前の情報なので、改訂版を希望したいところです。)

 

アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』

 

2冊目は、イランの映画監督モフセン・マフマルバフ氏の著書です。

 

アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ

アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ

  • 作者: モフセンマフマルバフ,Mohsen Makhmalbaf,武井みゆき,渡部良子
  • 出版社/メーカー: 現代企画室
  • 発売日: 2001/11/01
  • メディア: 単行本
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映画『サイクリスト』(بايسيكلران) 、『カンダハール(سفر قندهار) の監督でご存じの方も多いのではないでしょうか。残念ながら私はまだ『サイクリスト』を観ていません。
なかなかレンタルショップにも置いていないのですが、いつか観てみたいです。

 

監督はこの本の中で、アフガニスタンが直面している状況には、アフガニスタンの国と、その人々に対する世界の無関心、無知があると指摘しています。


確かにそうです。
アフガニスタンに関心を持ち続ける、心を寄せることができれば、ほんのわずかであっても何かが変わる可能性があるのかもしれません。

こうしてご縁があってダリー語を学んでいるからこそ、少しでも何かできたらという気持ちになります。アフガニスタンの人びとに心を寄せて自分なりに行動してはいるものの、当然ながら自分が出来ることはあまりにも拙くささやかなことばかり。

 
同書(2001年)で、監督は次のとおり述べています。

そして、『カンダハール』の製作を終えた今、私もまた、自分の仕事に無力感を感じている。私は、レポートや映画という小さな知識の炎で、人類の無知の深い海を照らすことができるなどとは信じていない。今後50年間にわたり、ばらまかれた地雷によって人びとが手足を失うことが定められている国を、19歳のイギリス人少女(※)が救えるなどとは信じていない。では、なぜその少女は、アフガニスタンに行くのか。なぜカマール・ホセイン博士は、希望がないにもかかわらず、いまだに国連にレポートを送りつづけているのか。なぜ私は、あんな映画を撮ったのか、そしてこんなレポートを書いているのか。私にはわからない。だが、パスカルの言葉を借りれば、心は理性が知らない動機を持っているのだ。

(『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』127-128ページからの引用)(※国際組織で義手や義足を作っている、イギリス出身の少女。脚注は引用者によるもの。)

 

そんな絶望的な無力感を覚えつつも、本当にささやかで、大海の一滴にすぎませんが、行動しつづけてみたい。決して、善意の押しつけにならない形で協力していけたらと思います。

 

皆さんは、自分が苦しい状況に置かれたとき、周りの人にどうしてもらいたいですか。

状況や相手との関係によっても違うと思いますが、「あなたのことを見守っているよ」とサインを出してくれるだけで、どんなにか心の支えになるかと思います。
少なくとも私はそうです。

具体的な助けがなくても、そばにいてくれるだけでも嬉しい。
それって、1対1の人間関係でも、1対集団になっても、そんなに違わないのかもしれません。 

もちろん、食べ物に事欠く人には、食べ物。病気の人には治療が必要です。
その後、最低限の基本的な生活が送れるようになったときに、心を寄せているというメッセージ(と行動)が活きてくるのかなと思います。

私自身、これまでにそういうメッセージを実際にいただいたことが何度かあるのですが、そういうときに身体がフワッと軽くなったというか、とても安心したのを覚えています。

うまく纏められませんが、そういう「目に見えないもの」は誰からも奪われないし、皆で増やして育てていくことができるのだと思っています。

 

童話『真珠』 مروارید

pearl

moritz320によるPixabayからの画像

 

‍こんにちは。
今日は童話『真珠』 « مروارید » (murwaareed) を紹介します。

これも以前の記事、カーブルの本屋さんで紹介したSHAH M BOOK COから入手しました。

 

shahmbookco.com

冒頭部分のあらすじ
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ある村に、正直者で善良なナザルおじさんと善良な妻ザイナブが暮らしていました。
ザイナブは綿から糸を紡ぎ、それをナザルおじさんが市場で売って生計を立てていました。夫妻は村中から厚い信頼を得ていました。

ナザルおじさんはいつものように市場で糸を売った後、帰る途中でハディージャを見かけました。ハディージャは村で尊敬を集めている女性だったのですが、物乞いになっていました。そこに至るまでの話を聞き、その姿を気の毒に思い、ナザルおじさんはある行動に出ます。

そして・・・・・・

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この童話では、日常的に志の立派な夫妻が、自分が窮地に陥った時に取る行動や態度について語られています。ここまでできる人がどれだけいるのだろうかと思います。そういう人だからこそ、人からの信頼も厚いのでしょう。
ストーリーから伝わる毅然とした姿は読んでいてまぶしいくらいです。

本自体は、絵も含めて全部で28ページです。
色々なダリー語の表現に出会えて、とても勉強になりました。

特に勉強になったフレーズ

دست تنگی و بی کسی از او یک گدائی  گر ساخت.م
(貧困と孤独で、彼女は物乞いになってしまいました。)
     از کسی ...ساختن  人を・・・にする
(和訳は拙訳。以下同様。)
 
هردونا امید شده دست زیر الاشه نشستند.م
(2人とも絶望して困り果てました。)
دست زیر الاشه نشستن  顎の下に手を置く(→困り果てる)

 

از دلش خدا خبر بود.م
(直訳:神だけが彼女の心を知っていました。
→ 誰も彼女の心の内を知りませんでした。

※個人的にこの表現が好きです。日本語の「神のみぞ知る」と同じ表現ですね。

 

خاطرات زیاد زینب به این آفتابه و لگن وابسته بود.م
(この水差しと金だらいには、ザイナブの沢山の思い出がつまっていました。)
م ... به ‍-  وابسته بودن・・・は-に依存している
 
صد دل را یک دل کرد.م
(‍直訳:100の思いをひとつにしました。→決心しました。
 ※この表現も分かりやすくて好きです。
「腹を括る」と同じようなニュアンスを感じました。
 
او به این فکر بود که چطور با دست خالی به خانه برگردد.م
(どうして手ぶらで家に帰ることができようか、と彼は心配しました。)

 
 
برایش گفت این آفتابه و لگن را بگیر و به عوضش ماهی برایم بده.م
(彼に向かって言いました。この水差しと金だらいを受け取って、
代わりに魚をください。)

  

پس (pas, 「後で、後ろに」)の使い方

خدیجه بزها و گوسفندان خود را پس گرفت.م
ハディージャは自分の山羊と羊を取り戻しました。)
※「後ろに」+「受け取る」→ 取り戻す

 

 

پول‌های را که از کاکا نظر گرفت بود پس داد.م
(ナザルおじさんから戴いたお金を返しました。)
※「後ろに」+「与える」→ 返却する 

 

私の場合、文章を読んで新しい単語に出会うのが、一番記憶に定着しやすいです。
文脈があるからかもしれません。

間違えたり恥ずかしい思いをすると忘れないのもあります。
なので、沢山間違えたらラッキーと思うようにしています。

この童話も読んでいて、間違えた所や分からない箇所が多々ありました。


授業で教えていただき分からないところが分かるようになるのは、いくつになっても嬉しいものですね。勉強というか、もはや遊びの域なのですが、楽しい時間を過ごせていることに感謝です。

また本を読んだら記事にしますね。
良かったら、皆さんが読んだ面白い本もいつか教えてください。

『カイト・ランナー』 بادبادک باز / کاغذ پران

kite

cocoparisienneによるPixabayからの画像
2019年5月11日最終更新

 

こんにちは。
今日はアフガニスタン出身の作家カーレド・ホッセイニ氏の著書『カイト・ランナー』(文庫版の題名は『君のためなら千回でも』)を紹介します。

 

この本をご存じの方も多いかもしれません。映画化もされていますね。
私は名前を聞いたことはあったのですが、実際に本を読んだことはありませんでした。

最近ある方に紹介してもらったのがきっかけで読みました。


以下、簡単なあらすじです。
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1970年代のカーブル。幼い主人公は父親からの愛情を望みながらも、なかなかその思いは報われない。普段一緒に遊んでいるのは召使いのハッサン。

冬の凧合戦の日。父の愛を得ようと必死の主人公はハッサンの危難を救うことができなかった。罪の意識に苛まれる日々。主人公はさらに取り返しのつかないことをしてしまう。
それから約20年後、その罪を償う機会が訪れる。
----------------------

 

この物語を読んでいると、痛いし、悲しくて苦しい気持ちになりますが、
それでも多くの方に読んでもらえたらと思いました。

こんなに安全で豊かな環境の中で暮らしていて、「追体験」できるというのはあまりに不遜だと思いますが、それでもなお、物語自体に引き込む力があるので、まるで目の前で物語が展開されているかのように感じます。
(翻訳も、まるで日本語で書かれた本の様に読めるほど。脱帽です。)

重層的なストーリーなので、物語の本筋である主人公の罪の意識、葛藤、怒りやアイロニーだけでなく、アフガニスタン社会で「結婚」がどういう風に考えられているか、結婚相手をどのように選ぶのか、これが全てではないにせよ、一例として読めると思います。随所に多民族国家としての困難にも触れられていると思いました。

 

カイト・ランナー

カイト・ランナー

  • 作者: カーレドホッセイニ,Khaled Hosseini,佐藤耕士
  • 出版社/メーカー: アーティストハウスパブリッシャーズ
  • 発売日: 2006/03
  • メディア: 単行本
  • クリック: 67回
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君のためなら千回でも(上巻) (ハヤカワepi文庫)

君のためなら千回でも(上巻) (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

ところで、物語に出てくる凧(カイト)がどんなものか、YouTubeで探してみました。
ご興味ある方はご覧下さい。

 


凧屋さんでのインタビュー
03:05頃から凧の作り方の紹介映像が流れます。


Gulbang - Kite flying - گلبانگ - کاغذپران بازی

凧本体のデザインもさまざまで、美しい模様のものが多いです。
色の組み合わせが斬新ですが、とても素敵です。

凧糸を巻く糸車(?)も色とりどりですね。
凧糸が店内に綺麗に陳列されている様子も、見ているだけでワクワクします。


実際の凧揚げの様子(英語のボイスオーバー付です。)


Viewfinder: The Real Kite Runners

 

アフガニスタンの国語の教科書

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Image by nyochi on Pixabay
2019年9月26日最終更新

 

 
こんにちは。
今日は、普段使っているアフガニスタンの国語(ダリー語)の教科書を紹介します。

この教科書データはアフガニスタン教育省のホームページ上に記載されているものです。
1年生から12年生分まであります。

 

以前も、別の記事でこの教科書について触れました。

その時は教育省のホームページがリニューアルされたため、
データがなくなってしまっていました。
結局Wayback MachineでもPDFまでは取り出せなかった。

www.daridaridari.com

 

今日教育省のページを覗いてみたら、リニューアル後のページができていたので、
すでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、皆さんと共有します。

moe.gov.af


ページ自体は、いつまた更新されるか分からないので、
気になる他の教科書も早めにダウンロードしたいと思います。

美術、算数、書道の教科書など眺めているだけでも面白いですよ。
 

ダリー語の学習用テキストが殆どない環境にいるので、
ダリー語のテキストを、しかも無料で提供してくれる(なんて気前が良いのでしょう!)ことは非常に有難いです。

もちろん、今はインターネットがあるのでダリー語のテキストはウェブ上で読めます。
ウェブ上のテキストも勉強にはなりますが、
この教科書のように印刷物として準備されたテキストは、
(恐らく)多くの人の目が入って、入念にチェックされているはずなので、
文章として信頼性が高いのではないかと思います。


現在、1年生の教科書から始めて、3年生の教科書ですが全くあなどれません。
国語は、他の教科の基礎になるので一番大事なのかもしれませんね。

教科書なのでお腹を抱えて笑うような内容はないのですが、文化、習慣、歴史などを知る上でとても興味深い内容がつまっているように思います。

教科書を使って勉強するのは、テキストが豊富な他の語学を学んだ方にとっては遠回りに思えるかもしれません。
私も始める前はそう思いましたが、意外に有効かもしれません。

教科書を使った学習といえば、大人になってからイギリスの学校で使われている教科書(副読本)をざーっと多読したことがあり、とても楽しい時間でした。
これはある程度語学力がついてからのことで、今回とは異なります。


今回のように、(文法を一通り勉強した後とはいえ)ほぼ最初から現地の教科書を使って外国語を勉強するのは、ダリー語が初めてです。
ある意味、実験です。

 

<関連記事>

www.daridaridari.com