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アフガニスタン、ダリー語について

童話『真珠』 مروارید

pearl

moritz320によるPixabayからの画像

 

‍こんにちは。
今日は童話『真珠』 « مروارید » (murwaareed) を紹介します。

これも以前の記事、カーブルの本屋さんで紹介したSHAH M BOOK COから入手しました。

 

shahmbookco.com

冒頭部分のあらすじ
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ある村に、正直者で善良なナザルおじさんと善良な妻ザイナブが暮らしていました。
ザイナブは綿から糸を紡ぎ、それをナザルおじさんが市場で売って生計を立てていました。夫妻は村中から厚い信頼を得ていました。

ナザルおじさんはいつものように市場で糸を売った後、帰る途中でハディージャを見かけました。ハディージャは村で尊敬を集めている女性だったのですが、物乞いになっていました。そこに至るまでの話を聞き、その姿を気の毒に思い、ナザルおじさんはある行動に出ます。

そして・・・・・・

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この童話では、日常的に志の立派な夫妻が、自分が窮地に陥った時に取る行動や態度について語られています。ここまでできる人がどれだけいるのだろうかと思います。そういう人だからこそ、人からの信頼も厚いのでしょう。
ストーリーから伝わる毅然とした姿は読んでいてまぶしいくらいです。

本自体は、絵も含めて全部で28ページです。
色々なダリー語の表現に出会えて、とても勉強になりました。

特に勉強になったフレーズ

دست تنگی و بی کسی از او یک گدائی  گر ساخت.م
(貧困と孤独で、彼女は物乞いになってしまいました。)
     از کسی ...ساختن  人を・・・にする
(和訳は拙訳。以下同様。)
 
هردونا امید شده دست زیر الاشه نشستند.م
(2人とも絶望して困り果てました。)
دست زیر الاشه نشستن  顎の下に手を置く(→困り果てる)

 

از دلش خدا خبر بود.م
(直訳:神だけが彼女の心を知っていました。
→ 誰も彼女の心の内を知りませんでした。

※個人的にこの表現が好きです。日本語の「神のみぞ知る」と同じ表現ですね。

 

خاطرات زیاد زینب به این آفتابه و لگن وابسته بود.م
(この水差しと金だらいには、ザイナブの沢山の思い出がつまっていました。)
م ... به ‍-  وابسته بودن・・・は-に依存している
 
صد دل را یک دل کرد.م
(‍直訳:100の思いをひとつにしました。→決心しました。
 ※この表現も分かりやすくて好きです。
「腹を括る」と同じようなニュアンスを感じました。
 
او به این فکر بود که چطور با دست خالی به خانه برگردد.م
(どうして手ぶらで家に帰ることができようか、と彼は心配しました。)

 
 
برایش گفت این آفتابه و لگن را بگیر و به عوضش ماهی برایم بده.م
(彼に向かって言いました。この水差しと金だらいを受け取って、
代わりに魚をください。)

  

پس (pas, 「後で、後ろに」)の使い方

خدیجه بزها و گوسفندان خود را پس گرفت.م
ハディージャは自分の山羊と羊を取り戻しました。)
※「後ろに」+「受け取る」→ 取り戻す

 

 

پول‌های را که از کاکا نظر گرفت بود پس داد.م
(ナザルおじさんから戴いたお金を返しました。)
※「後ろに」+「与える」→ 返却する 

 

私の場合、文章を読んで新しい単語に出会うのが、一番記憶に定着しやすいです。
文脈があるからかもしれません。

間違えたり恥ずかしい思いをすると忘れないのもあります。
なので、沢山間違えたらラッキーと思うようにしています。

この童話も読んでいて、間違えた所や分からない箇所が多々ありました。


授業で教えていただき分からないところが分かるようになるのは、いくつになっても嬉しいものですね。勉強というか、もはや遊びの域なのですが、楽しい時間を過ごせていることに感謝です。

また本を読んだら記事にしますね。
良かったら、皆さんが読んだ面白い本もいつか教えてください。