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アフガニスタン、ダリー語について

最近まで見落としていたダリー語の表現 (ブード・オ・バーシュ)

crocus

LolameによるPixabayからの画像

 

こんばんは。
今日のお花はクロッカスです。可愛いですね。

ダリー語を読む時に、最初は辞書を引かずに頭から読み、2回目以降に辞書を引くようにしています。

その結果、曖昧なままずっと辞書を引かずに飛ばしてしまっていた(分かっていると思い込んでいた)表現がありました。

それは、‍بودن (boodan)という動詞から派生した思われる表現で、بود و باش (boo-do-baash)と言います。

動詞‍بودن (boodan)は、英語でbe動詞(is, am, are)に相当する動詞です。


調べた限りですと、この表現はどうやらダリー語特有の表現のよう。
以前紹介したダリー語・ペルシア語用語集によると、بود و باش (boo-do-baash)に相当するイランのペルシア語はزندگی، سکونت‍‍と書かれていました。

 

 

例えば、アフガニスタンのダリー語の教科書では、こんな風に使われています。

「バラヒサール・カーブル」をテーマにした文章の一部から抜粋。

بالاحصار کابل در زمان سلطنت تیمورشاه درانی، اهمیت زیادی پیدا کرد. تیمورشاه بین سال های ( ۱۱۷۳-۱۱۵۱ )هجری شمسی در افغانستان پادشاه بود. او پایتخت سلطنت خود را از کندهار به کابل انتقال داد. وی با خانواده، قطعه‌های نظامی و گارد (محافظان) شاهی در داخل بالاحصار زنده‌گی می‌کرد. بعد از او این قلعهٔ بزرگ، مرکز بود و باش پادشاهان قرار گرفت.۱

 

バラヒサール・カーブルはティムール・シャー・ドゥッラーニーの統治時代にその重要性を増した。ティムール・シャーは、アフガン暦1151年から1173年までアフガニスタンの国王であった。王は王国の首都をカンダハールからカーブルへ移し、家族、軍の部隊、近衛兵(ボディーガード)と共に、バラヒサール内で暮らしていた。ティムール・シャーの後、この大きな城塞は、歴代の王たちの住居の中心とされた。

(出典:アフガニスタン小学校6年生のダリー語の教科書(p.33-34)、和訳は引用者。)
リンク: 
https://moe.gov.af/sites/default/files/2020-02/G6-Dr-Dari.pdf

 

他に、ラグマーン州で復元を終えたセラージュ城塞に関する新聞記事でも、このように使われていました。

باستان شناسان می افزایند که این قلعه را امیر حبیب الله خان، ۱۱۰ سال پیش، برای بود و باش زمستانی اش و نیز برای شکار کردن درلغمان ساخته بود که چهار برج، دو ساختمان و یک مسجد دارد.۱

 

 

この城塞は、ハビーブッラー・ハーン王が110年前に冬の滞在(別荘)用に、そしてまたラグマーン州で狩りをするために建てられたものであり、塔4基、建物2棟、モスク1棟があると、考古学者たちは付け加えた。

 (出典:「ラグマーン州の歴史的城塞セラージュ 復元完了」、1399年牡羊座月11日付TOLOニュース記事。和訳は引用者。)
元記事のリンク先: 
قلعه تاریخی سراج در لغمان بازسازی شد | طلوع‌نیوز

 

簡単そうな単語こそ、丹念に辞書を引かなければと改めて思いました。

ちなみに、この表現はこちらには載っていました。(とほほほほ・・・・・・)

オンラインのダリー語ダリー語辞書 قاموس کبیر افغانستان

 ダリー語・ペルシア語用語集 واژه های متفاوت دری به فارسی برای مترجمین - dari dari dari

 

今日も読んでくださりありがとうございます。
では。