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アフガニスタン、ダリー語について

私の心臓、私の目の光、肝臓の一部(ホラーではありません)

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Jill WellingtonによるPixabayからの画像

 

こんばんは。

7月末に「少しずつでいいから毎日ダリー語を勉強しよう」と決意した途端、急に仕事が忙しくなりました。

決意すると、その本気度が試されるようなことが起こりませんか。
これはきっと何か(?)からの挑戦に違いないと思って、毎日なんとか一記事は読むようにしてきました。

 

www.daridaridari.com

新聞の読解は2か月続いて習慣化されてきました。

次は会話と作文です。

ダリー語でいざ話そうとするとなかなか言葉が出てこなくて困っているので、今日からダリー語で日記をつけはじめました。(毎日数行を書く予定。)

自分のノートに書くのでも良いのですが、継続して習慣化するために、ブログトップの端にこっそり掲載しています。

 

 

さて、今日はダリー語特有の表現を紹介しますね。

 

英語では、恋人や配偶者に"sweetheart" (あなた、愛しい人など)と呼びかけます。 

ダリー語でも同様に「心臓」を使った表現があります。

 

عزیز دلم  ('azeez del-am)  愛しい人

عزیز قلبم  ('azeez qalb-am) 愛しい人

 

上記2つはどちらとも直訳では「私の愛しい心(臓)」で、「愛しい人」という意味です。

恋人配偶者同士だけでなく、親から子に、祖父母から孫に使うことができる表現だそうです。

 

 

次は、「」を使った表現です。

 

نورچشم  (noore-chashm) 愛しい子

 

こちらは直訳では「私の目の光」で、「愛しい子」という意味です。

親が子に、祖父母が孫に使う表現です。

 

日本語では、子どもや孫の可愛らしさを「目に入れても痛くない」と表現しますね。

目を使って表現するのは同じですが、たとえ方が異なるのが面白いです。

 

 

最後に、「肝臓」を使った表現です。

 

جگرگوشه  (jegar-gosha) 愛しい子

 

直訳では、「肝臓の一部(または肝臓の端)」で、「愛しい子」という意味です。

これも親が子に、祖父母が孫に使う表現です。

アフガニスタンの人々にとって、「肝臓」はかなり親しみのある臓器なのですね。
日本でも、お酒と関連して「肝臓」の話をすることがあると思います。それ以外の日常会話で肝臓を使った諺とか表現はあまり聞いたことがないような気がします。

 

臓器を使った表現で、衝撃的を受けたものを最後に紹介します。

 

خون دل خوردن  (khoone del khordan)  (直訳:心臓の血を飲む)

خون حگر خوردن  (khoone jegar khordan)  (直訳:肝臓の血を飲む)

 

意味は、どちらの表現も「非常に悲しむ」という意味です。

完全にホラーな表現に思えますが、大切な臓器の血を飲むほど辛く悲しいという意味なのかもしれません。

 

今日も読んでくださって、ありがとうございます。

では。