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アフガニスタン、ダリー語について

褒める前に言う言葉(邪視とそれを避けるためのダリー語の表現)

lotus

Ke HugoによるPixabayからの画像

 
こんばんは。
今日の写真は蓮の花です。
こんな可憐な花の下に蓮根(レンコン)があると思うと不思議な気持ちになります。
(蓮根は、蓮の根と書くものの、実際は根ではなく、茎(地下茎)なのだそう。)

 

ところで、今日は邪視とそれを避けるための表現について紹介します。

 

 

そもそも邪視とは

 

ご存じの方も多いと思いますが、今回は2番目の意味の「邪視」を扱います。

大辞林 第三版の解説
じゃし【邪視】
① 物を正面から見ないこと。また、物事を正しく見ないこと。よこめ。
② 〔evil eye〕 人や物に災厄をおこす神秘的な力をもつ目。また、そのはたらきに対する信仰。

 

زهر چشم (目の毒)という表現

 

以前記事で紹介したオンラインのダリー語ダリー語辞書 قاموس کبیر افغانستان を使って調べていたら、زهر چشم  ‍(zahr-e chashem) という表現を見つけました。

直訳は「目の毒」という意味です。

その解説が興味深かったので紹介します。
同辞書のزهر چشمの項目によると、以下の2通りの表現で使うそうです。

 

1. 徹夜して疲れ果てた人に使う表現。
「あなたの目の毒‍をなくすために眠りなさい
« رفته بخواب تا زهر چشمت بشکند »
」と言います。

つまり、「眼精疲労を癒やして、元気になってね」という意味で使われます。


2. 迷信的な表現としても用いられます。

財産、物を持っている人、外見の良い人、子どもなどが褒められて、その後で事故や災難などに見舞われた場合に使います。

つまり、ある人が「目の毒を滴らせた«زهر چشمش را چکاند»」眼差しで人や物を褒めて(欲しがって)、相手や物が後々損害を受けた場合に使います。

(引用者による要訳)

 

1の場合のزهر چشم(目の毒)は、日本語の「疲れ目」みたいな表現でしょうか。
強めの表現だからか、割とすぐに覚えられました。
眼精疲労は目の毒なんですね。確かに。納得です。

 

2が冒頭で説明した「邪視」にあたる表現ですね。

 

「邪視に当てられた、やられた」という表現は、

او نظر شد.ا  (oo nazar shod.)

などと言うそうです。

 

私が知らないだけかもしれませんが、日本ではあまり邪視の考え方を聞かないような気がします。むしろ「言霊」の方が信じられているような印象です。

迷信的だと思われるかもしれませんが、私は言霊を信じています。

実際に起きて欲しくないことを話さなければならないとき、その発言の前か後に必ず「取り消すけど・・・・・・」と言うようにしています。(時には心の中でこっそりと。)

 (強い言葉を言ったとき、相手にショックを与えるのはもちろんのこと、自分も結構ショックではありませんか? そういう衝撃みたいなものを和らげたいのかもしれません。)


ですので、下で紹介するダリー語の表現にも共感します。

邪視を避けるためのダリー語の表現

そんな邪視を避けるために、アフガニスタンで人や物を褒める前に使う表現はこちらです。

 

از نظر بد دور باشد.ا   (az nazar-e bad door baashed.)


邪視が離れますように。

 

نظر نشد.ا     (nazar na-shod.)


邪視が消えますように。

 

چشم بد دور.ا    (chashm-e bad door.)

 
邪視を遠ざけますように。(邪視を追い払いますように。)

 

事例として写真も取り上げられれば良いのですが、著作権の関係で難しそうなので、ご興味ある方は、"چشم بد دور" などで画像検索すると関連の写真がヒットすると思います。

 

普段から使えそうな表現ですね。私も使ってみたいと思います。

それでは。