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アフガニスタン、ダリー語について

アフガニスタンの諺(ضرب المثل) 山がどれほど高くとも、頂上への道はある

lupinus

Aneta FoubíkováによるPixabayからの画像
2021年8月14日最終更新

 

こんばんは。

今日は山の上にかかる雲の切れ間から差し込む光が美しくて、この写真にしました。
ときどきこんな感じの、雲の切れ間から光が差す景色を見ます。
なかなかきれいに写真を撮ることができないので、いつも心に焼き付けています。

 

最近はほぼ毎日雨が降っています。
今朝は、耳元で勢いよく大きな滝が流れているかのような豪雨でした。
川の近くで暮らしているので気をつけたいと思います。

皆さんも地震や雨などにくれぐれもお気をつけくださいね。
(自治体によるのでしょうが、私が暮らしている市の防災無線は大雨にかき消されてほとんど聞こえませんでした。インターネットも不安定になります。情報収集はラジオなどが良いのでしょうね。)

 

 それでは、アフガニスタンの諺(ضرب المثل)を紹介します。

 

کوه هرقدر که بلند باشد، باز هم سر‍ خود راه دارد.ا
(koh harqadar keh beland baashed, baaz sar khud raah daarad.)


直訳:山がどれほど高くとも、頂上への道はある。

 

この直訳を見て、恐らく最初の意味を思いつかれた方が多いのではないでしょうか。

 

意味1 

- 意志あるところに、道はある

 (Where there's a will, there's a way.)

- 精神一到何事か成らざらん


ダリー語でも、英語でも日本語でも、同じ意味の諺があるのですね。

それだけ実感している方が多いということなのでしょうか。

努力をしても報われないこともあるとは思うのですが、
努力し続けて、その努力が習慣になるくらいまで意志を貫き続けると、
運も味方してくれて、自分の目標とする道を成し遂げられることはあると思っています。


この辺りの話を少し書きかけましたが、うまくまとまらなかったので、
言葉が見つかったら別の機会に書きますね。

 

もうひとつ、このような意味もあります。

 

意味2.

- どんなに自尊心が強く自信のある人でも、神の方がもっと偉大だ。

 (慢心をいさめる時に使う言葉。)

 

言われたときは、どちらの意味で言われたか勘違いしないようにしないとですね。

もし2の意味で言ってくれる人がそばにいるなら、とても貴重な存在のような気がします。年を重ねるほど、耳痛いことを言ってくれる人は少なくなるような気がするので。

もちろん1の意味で声をかけてくれて、応援してくれる人がいたら嬉しいですね。

 

今日も読んでくださってありがとうございます。

では。