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アフガニスタン、ダリー語について

いつかアフガニスタンを歩いてみたい

هرات

David MarkによるPixabayからの画像
ヘラートの風景

 

こんばんは。

今日はアフガニスタンについて書かれた本、『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』(原題:The Places in Between)を紹介します。

日本語版は2010年に発行されていますので、ご存じの方もいらっしゃると思います。

 

戦禍のアフガニスタンを犬と歩く

戦禍のアフガニスタンを犬と歩く

 

 

著者は、英国スコットランド出身。

2000年にイラン、アフガニスタン、インド、パキスタンを経てネパールまでの9,600 kmを歩いて横断することを決意。

イランでビザを取り上げられてしまったためアフガニスタンに入国できず、先にネパールまでを16か月かけて踏破。ネパール東部に到着した2001年12月、タリバン政権崩壊のニュースを聞いてアフガニスタンに向かいます。

 

この本では、2002年1月から40日程の道のり(ヘラートからチャグチャラーン、バーミヤンを経てカーブルまで)が書かれています。

偶然の巡り合わせで、ムガール帝国初代皇帝バーブルの日記『バーブル・ナーマ』بابر نامهに書かれていたのと同じ中央ルートを、バーブルと同じ1月に歩き始めたそうで、この本でもところどころバーブルの日記が引用されています。

 

9,600 kmという距離自体、果てしなく長い距離ですね。

日本の全長が東西南北に約3,000 km(参考:国土技術研究センターと言われていますから、その3倍強ということになります。

 

アフガニスタンのヘラートからカーブルまでを歩くという発想も、無謀とも言えるような勇気です。実際、さまざまな民族が暮らす地域を雪深い冬の時期に歩くことについて、アフガン人からも車で行くように何度も説得されるのですが、著者は断って歩いていきます。

ドラマチックな表現はなく、淡々と書き進められています。途中、身の危険もあるのですが、あまりにも冷静な描写がされていて、読んでいるこちらが驚きます。

 

詳しい行程の地図は本に書かれているので、この記事では簡単な位置関係だけ記しておきますね。 

 

 アフガニスタン西部のヘラートから首都カーブルまで

افغانستان 

出典:United States Central Intelligence Agency. Afghanistan. [Washington, D.C.: Central Intelligence Agency, 2002] Map. https://www.loc.gov/item/2002626218/. (ただし、図の加工は引用者によるもの。)

 

4つの州を通過する道のりについて、こう書かれています。

ハリ・ルド川沿いに高い峠をいくつも越えてその源流にたどり着き、そこからカブール川沿いに首都まで下るのがこの旅のルートだ。それはヘラート、ゴール、バーミヤン、ワルダクの四つの州を通過する。その四州は大まかに言って、四つの異なる地形と四つの異なる民族を象徴している。

 

出典:ローリー・スチュワート(2010年)『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』白水社 p.89

 

ヘラートは平原でタジク人が暮らし、ゴールの山岳地帯ではアイマーク人、バーミヤンの高山地帯にはハザラ人、ワルダクの谷と砂漠ではパシュトゥーン人が暮らしています。その人たちとの出会い、もてなし、別れが書かれています。

 

ある村のベグ(部族長)は著者にこんなことを言います。

 

「でも、この谷の村同士でも戦いがありました。(中略)だからまだ血で血を洗う復讐劇は進行中です。この二五年間、あなたがいま歩いているルートの端から端までを、わたしたちは歩くことができないでいるのです。わたしたちには危険すぎる。あなたが安全なのはよそ者だからです。(後略)」

出典:同書 p.271

 

ひとつの国であっても、自由に行動できるわけではないのですね。

日本では自由に移動できるのが当たり前ですが、アフガニスタンでは移動も当たり前でないことや、宗派によってもてなし方が違ったりなど、読んでいて勉強になることが沢山ありました。

 

まだ読んでいない方には、お勧めしたい一冊です。
読むと旅をしているような疑似体験ができると思います。

こんな広い空の下を、いつか歩いてみたいです。(冬ではなく、夏に。)

چغچران

ゴール州チャグチャラーン