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アフガニスタン、ダリー語について

少年の服装をする少女たち

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Manfred RichterによるPixabayからの画像

 

 

 

こんにちは。

今日はアフガニスタンに関するドキュメンタリー映画を紹介します。

この記事についてどのように書けば良いか随分迷いましたが、良かったらお付き合いください。

 

アフガニスタンでは日常生活を送る上で、男性の家族の存在が欠かせません。
男性の家族とは、例えば、父親、夫、息子などです。

 

今回紹介するドキュメンタリーを見て、息子がひとりも生まれなかった家庭や、紛争やテロで男性の家族を失った家庭では、娘に男の子の服装をさせる場合があることを知りました。

 

すでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、少年の格好をさせられる(する)少女のことをダリー語でبچه پوش (bacha poosh)(意味は、少年の服装をする)と呼ぶそうです。

 

このドキュメンタリーでは、家族に言われて少年の服装をして外で水を売ったり、買い物に行く少女、母親の外出の付き添いをする少女、稀なケースとして家族内に兄弟がいても、自らの意志で少年の服装をしている少女など、境遇も年齢もさまざまな少女が出てきます。

 

بچه پوش (バチャ・ポーシュ)自体は、アフガン社会ではタブー視されていないものの、公然の秘密となっているそう。


バチャ・ポーシュになると、1人で外出したり、スポーツをする自由を得ることができます。思春期にさしかかると、一転して家族から女性の服装をするように言われ、結婚する場合もあれば、本人が抵抗して少年や男性の服装をしたまま生きることを選ぶ場合もあるそうです。

 

 英語字幕付き


She is My Son: Afghanistan's Bacha Posh, When Girls Become Boys

 

以下、感想です。

 

自分の意思に関係なく、家族から言われたことをしなければならない環境、そして少年の服装をすることでしか得られない「自由」がある社会。

そもそも、男性の存在がなければ日常生活が送れない社会とは一体どんな社会?
そんな社会を支配して、得をしているのは誰?

年齢や性別に関係なく、人は多様です。誰ひとりとして同じ人はいない。

「自由」があるとされる男性も多様です。暴力を振るう人もいれば、心優しい人もいる、力でねじ伏せようとする人もいれば、冷静に話を聞いて受け止めてくれる人もいる。

でもそのような多様性を封じ込めている社会とは一体どんな社会なのでしょう?

 

ドキュメンタリーに出ていたナジュラさんとアスィヤさんのように、自分の意志で少年の服装をするという行動に出る人もいますが、もし彼女たちが別の国に生まれていたら、服装に関係なく、自分のやりたいことを自分の意志で選べていたのかもしれません。

このような少女たちがどれほどいるのか分かりませんが、彼女たちの存在は貴いと思います。

 

ドキュメンタリーの最後(25:50頃)で、インタビューアーがアスィヤさんにこう問います。

「もし君に愛する男性ができて、その人から『男の格好をやめて、女の子らしくするなら、君のことを愛すよ。そうすれば万事うまくいく』と言われたら、君は受け入れる?」

出典:She Is My Son: Afghanistan's Bacha Posh, When Girls Become Boys
『彼女は私の息子――アフガニスタンのバチャ・ポーシュ、少女が少年になるとき』

 

これに対して、彼女はこう答えました。 

「これが私の人生。このままの私を受け入れるか、失うかのどちらかね」

出典:同上

 

アスィヤさんの言葉には、ありのままの自分を認めてくれる人だけが周りにいてくれれば良いという意志の強さを感じました。

取り替えのきかない、自分という存在を大切にしている彼女の最大の味方は、きっと自分自身なのでしょう。自分の意志で少年の服装をする彼女たちの存在に、わずかな希望の光を見ました。

いつも読んでくださって、ありがとうございます。
では。