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アフガニスタン、ダリー語について

本当にひとり? 翻訳を通じた対話

chipmunk

Jill WellingtonによるPixabayからの画像
2019年5月11日最終更新

 

こんばんは。今日は独り言です。

家で翻訳をしていると言うと、「1人で仕事をするのは(話相手がいなくて)大変ではないか」と聞かれることがあります。

会社に勤めていると、一緒に仕事を進めたり、雑談したりする同僚や上司や仲間がいますよね。ですから、1人で仕事をするのは大変そうと思われる方がいても不思議ではないです。


確かに物理的に1人ではあるのですが、実際には翻訳会社や取引先の方と連絡や相談をすることもあるので、あまり1人という感覚はありません。

私にとっての翻訳作業は、文書を書いてくれた方との対話です。
だから孤独を感じないのだと思います。

むしろ、まだ会ったことのない、もしかしたらこれからも会うこともない人が書いた文章を読んで訳していく作業は、とても嬉しく、時には光栄なもので、時にはとても親密になることさえあるものです。

ビジネス文書であっても、他の媒体であっても、常に頭の中でその方と話しているような感覚なので、あまり1人で仕事をしているという気持ちにならないのですね。

自分が透明のフィルターになって、文章を書いた人の熱量を、できるだけそのままの形で別の言語に移したいと、訳す度に思います。そのためには、まだまだ学びつづけるしかないですね。(学びがあることが嬉しくもあります。)

翻訳は相手との対話と言いましたが、別の言い方をすると、まるで森の中を分け入って、ひとつひとつ木の幹や枝を点検したり、森全体を見ていくようだなとも思います。
普段、文章を読む深さとは別の深さで読んでいく作業なのかな。

 

あと、1人で働いている感覚はあまりないと言いましたが、
そもそも1人でいることが好きなのもあるかもしれません。

 

人の輪の中にいて、人と話すことで元気をもらえる人と、
1人でいることで元気になる人のタイプに分けるとしたら、
皆さんはどちらのタイプですか?

(もしかしたらもっと細かくタイプが分かれるのかもしれませんが、ここではとりあえず2パターンにします。)

 

私は1人でいる時間がないと、自分がしぼんでいってしまうタイプなので、
意識的に1人でいる時間を作っています。そうすると自然に元気になる。

 

誰かと話すことで元気を回復できるタイプの方もいますよね。
1人でいつづけるとしぼんでしまうというか。

 

どちらが良い悪いではなく、どちらも良いし、アリだと思います。
自分のタイプが分かってから、私は色々なことが楽になりました。


なんだかとりとめもなくなってしまいました。
おやすみなさい。