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アフガニスタン、ダリー語について

どうしてこんなにもダリー語に魅了されてしまうのか

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Lasse Holst HansenによるPixabayからの画像

 

こんにちは。

今日は独り言です。

2018年の3月頃にダリー語を勉強したいと思い、
同年5月から勉強し始めて今に至ります。

 

どうしてこんなにもダリー語に魅了されてしまうのか、自分でもよく分かりません。

 

ダリー語アフガニスタン公用語のひとつで、
ペルシア語に類似しています。

元々イラン映画が好きで公開されるたびに観に行っていたこともあり、
もし次に言葉を勉強するならペルシア語だろうと思っていたのですが、
実際に選んだのはペルシア語ではなく、ダリー語でした。

 

これまで色々な言語を学びましたが、
学びたい気持ちがこんなにも湧き上がるのはダリー語が初めてです。


もちろん他の言語でも面白いと思う部分はあります。
でも、これまでは就きたい仕事や取りたい資格(目標)があって、
それを叶えるために語学を勉強するという傾向が強かったです。


ダリー語に関してはそうした展望もあまりなく、
「なぜ、ダリー語なの?」と周りから聞かれることもあるのですが、
そうしたいから、としか言いようがないのです。

 

ダリー語を学び始めてから少し経って
「ああ、これが私が求めていたものだ」と分かった瞬間がありました。
それも「どうやって分かったのか」と聞かれたら
「そう思ったから」、直感だからとしか言いようがありません。

 
これまでの人生は、ある程度計画的だったのかもしれません。
大学在学中に海外で働きたいと思ったので、そのための試験を受けて
2年間中東のある国で働いていました。

翻訳者になるときも、「翻訳者になる」と決めてから学んで行動して、
翻訳会社に登録してもらうための試験を受けたり、
経験を積んだり、時には苦い思いも経験して、
今はだいたい理想としている状況になりました。


ただ、ダリー語に関しては羅針盤が一切なく、
自分の心からの欲求に従って学び続けています。

こういう経験は、自分にとっては2度目ですが、
不思議としかるべき方向に進んでいる、自然な流れに従っていると感じています。

読んで下さっている方は、論理的ではないとお感じになるでしょう。
私も論理的ではないと思います。

目に見えないものを信じているので、
計画がなく、直感に従うのもアリかなと思って、
自分の直感を頼りにこのブログを始め、やりたいと思うことをしています。

 
今から10年前の自分を振り返ると、
あのときの自分からは想像もつかない「今」になっている。

あの頃は、大学を卒業して就職した会社で
自分なりに懸命に働いてもがいていた時期だったなと思います。

そうであれば、今から10年後の自分も
きっと想像がつかない自分になっているのではないかと思います。