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アフガニスタン、ダリー語について

「記憶」を与える、「記憶」を受け取る ヤードیادの表現

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Sergio CerratoによるPixabayからの画像
ミモザの花言葉は感謝。いつも読んでくださってありがとうございます。

 

こんばんは。

こっそりブログのプロフィールのアイコンを変えてみました。

今までは、ブログとプロフィールのアイコンは同じものを使用していたのですが、別件で似顔絵を描いていただいたので、これを機会に半分顔出し(?)してみます。

 

さて、本題に入ります。

ダリー語は詩的な表現が多くて、私がダリー語を好きなポイントのひとつです。
今日は少し前に授業で学んだیاد (yaad)という単語と詩的な表現を紹介します。

 

یاد (yaad) は「記憶」という意味です。

このیاد (yaad)を使ったイディオムが秀逸です。

 

記憶を与える、記憶を受け取るという表現をすることで、

教える、学ぶという意味を表します。

 

記憶を与える =「教える

یاد دادن (yaad daadan)

 

記憶を受け取る =「学ぶ

یاد گرفتن (yaad gereftan)

 

論理的で覚えやすいですね! 

 

 

さらに、こんな表現もあります。 

記憶をされる =「引用される、述べられる」

یاد شدن (yaad shudan)

 

 

記憶をする =「(誰かのことについて)言及する、話す、思い出す」

یاد کردن (yaad kardan)

 

※たとえばAさんに、「この前Bさんと話していて、あなた(Aさん)の話題が出たよ」というような時に使えるそうです。

※中立的な表現です。

 

 

「記憶」といえば、以下の表現は必須ですね。

記憶がやってくる = 「思い出す」

یاد آمدن (yaad aamadan)

 

記憶が去る   = 「忘れる」

یاد رفتن (yaad raftan)

 

※他にاز یاد بردن (az yaad burdan)という表現もあります。

イディオムではなくて動詞 فراموش(faraamosh)もありますね。

 

ダリー語をアウトプット(書いたり、話したり)するときに、動詞を使ってばかりいることに最近気づきました。今後は、意識的にイディオムも使っていきたいと思います。

 

 今日も読んでくださってありがとうございます。