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アフガニスタン、ダリー語について

アフガニスタンの国民的詩人 ハリールッラー・ハリーリー氏

sunrise

かねのり 三浦によるPixabayからの画像

 

こんばんは。

今日は久しぶりにダリー語の詩を紹介します。

アフガニスタンの国民的詩人、ハリールッラー・ハリーリー氏استاد خلیل الله خلیلیの詩です。


ダリー語を学んでいると、教科書に詩の占める割合が多いことに気づきます。
アフガニスタンには詩を詠む文化が根付いているのですね。
 

 

詩人ハリールッラー・ハリーリー氏について

・アフガニスタンの国民的詩人

・西暦1907年(ヒジュラ太陽暦1284年)カーブル市生まれ。
・詩人。作家、カーブル大学副学長、外交官などでもあった。

・西暦1978年4月7日のクーデター(サウル革命)後、大使館を去り、欧米で生活。
・西暦1987年(ヒジュラ太陽暦1366年)パキスタン国イスラマバード没。

・死後25年を経てパキスタンからカーブルに移され、サイイド・ジャマールッディーン・アフガン廟のそばに埋葬された。

 

これから紹介するのは、小6の教科書に掲載されていた詩です。

元々の詩は24行ですが、教科書には抜粋された8行のみが掲載されていました。
こんな詩です。

 

 

«مرد نمیرد به مرگ»

 


 ناله به دل شد گره، راه نیستان کجاست؟
  سینه قفس شد به من، طرف بیابان کجاست؟
 اشک به خونم کشید، آه به بادم سپرد
  عقل به بندم فگند، رخنه‌ی زندان کجاست؟

خوب و بد زندگی، بر سر هم ریخـتند
تا کند از هم جدا، بازوی دهقان کجاست؟

مرد نمیرد به مرگ، مرگ از او نام‌جوست
نام چو جاوید شد، مردنش آسان کجاست؟


استاد خلیل الله خلیلی 

 

「人は死では死なない」


言いたいことが心の中で絡まりあう
葦原への道はどこにあるのか教えてください

胸(※1)が鳥かごのようになってしまった私に
自由の方向がどこにあるか教えてください

涙が私の血に吸い込まれ
ため息を私の風に委ねた

私の理性が囚われた
監獄の隙間がどこにあるのか教えてください

人生の善も悪もごちゃごちゃになってしまった

それを分ける者の腕がどこにあるのか教えてください

人は肉体的な死では死なない
死は人から名声を取ることなどできない

もし名声が永遠ならば
その人の死はどこにあると言うのか


ハリールッラー・ハリーリー作

(出典:アフガニスタン6年生のダリー語教科書 45-46ページ。和訳は引用者によるもの。)


注1: 教科書ではسینه「胸」となっているが、ネット上の詩ではخانه「家」となっていた。

 

 

ダリー語の先生に伺った話では、この詩が書かれたのは恐らく 西暦1978年4月7日のクーデター(サウル革命)後のことではないか、とのことでした。

その前まで、アフガニスタンで詩人として活躍し、国の要職(大学の副学長や外交官など)を歴任してきた方ということを踏まえると、この詩からご本人の無念さが伝わってくるようです。

 

BBC(英国放送協会)のペルシア語放送でも紹介されていました。

2006年に書かれたこの記事では、(死後19年が経った今では)この詩人を話題にするメディアも少なく、皆の関心が薄れていると書かれていました。

https://www.bbc.com/persian/afghanistan/story/2006/05/060516_s-khalili-kazemi-15th.shtml

 

ただし、今も教科書に載っているということは、まだ名声は生きているのですね。
この詩が言うように、思い出す人がいる限り、人はまだ死んでいないのだと思います。

大切な人を亡くしたときに、「思い出すことが何よりの供養になる」と言われたことがあります。思い出すことで、その人が心の中で生き続けられると。


この詩を元にしたアフガニスタンの国民的歌手アフマド・ザーヒルの歌も聞くことができます。

(この楽曲はライセンス所持者がYouTube に使用を許可しているものとのこと。)


احمد ظاهر: ناله بدل شد گره، راه نيستان کجاست؟

 

物悲しいような、しっとりした歌い方ですね。

今日も読んでくださりありがとうございます。
では。