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アフガニスタン、ダリー語について

楽器ドゥタールに対するヘラート州文化人の想い

camellia

MueckeによるPixabayからの画像
2020年8月27日最終更新


こんばんは。

写真は椿(camellia)の花です。とても可愛らしい淡い色ですね。


今日は、楽器ドゥタールについて興味深い記事を読んだので紹介します。

 

 

ドゥタールとは

中央アジアで演奏されている楽器ドゥタール。

ドゥタール دوتارは、ペルシア語で2本の弦という意味です。
実物も2本の弦で出来ています。

ドゥタールのユネスコ無形文化遺産登録

この楽器は、2019年ユネスコ(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization: UNESCO)の「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」にイランの申請で登録されました。


以下のリンクから、公式動画(10分)を閲覧することができます。

実際のドゥタール製作方法、演奏の形態なども紹介されていて見応えがあります。

ich.unesco.org

ところで、この一覧表登録を受けて、ヘラート州の文化人が抗議したという報道が出ていたので、少し調べてみました。 

ドゥタールが単独申請となった理由は分かりませんでした。
私が調べた限り、ドゥタールはイラン、アフガニスタンに加えて、トルクメニスタン、ウズベキスタンにもあるようです。

地域によって、使う木材、製作方法、形状や演奏などの特徴が異なっているのでしょうか? それともほとんど同じものなのか?
(何か分かったらこちらに追記したいと思います。)

 

蛇足ですが、ユネスコ無形文化遺産は共同申請も可能です。
過去には12か国共同でナウローズ(ノウルーズ)が登録されています。

「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」

ich.unesco.org 

ヘラート州の文化人たちの想い

今回紹介する元記事はこちらです。
「ヘラート州の文化人 ドゥタールのユネスコ登録がイラン名でなされたことに抗議」

tolonews.com

 

ヘラート州の場所

ヘラート州は、アフガニスタンの西部に位置しており、イランと国境を接しています。
下の地図でターコイズ色の部分です。

Herat

出典:https://d-maps.com/carte.php?num_car=25962&lang=en(編集は引用者)

 

国境を接しているから、人の行き来もあり、文化的に近いのではないかと推測します。

 

ドゥタールの歴史的起源  ホラーサーン

記事では、ドゥタールの歴史的起源について触れられていました。

 

ヘラート州の文化人と音楽家が同州で会見を開き、楽器「ドゥタール」のユネスコ登録がイランの名の下に行われたことに対して抗議した。

 


この文化人たちは、ドゥタールは地理的にアフガニスタン、あるいはかつての「ホラーサーン」に歴史的起源を有しており、イランはこの芸術的文化的工芸品を独自の文化遺産のひとつとしてユネスコに登録することはできない、と述べている。 

 (出典:「ヘラート州の文化人 ドゥタールのユネスコ登録がイラン名でなされたことに抗議」、1398年山羊座月8日付TOLOニュース記事。和訳、太字は引用者。)

 

ドゥタールはホラーサーン音楽に縁があるのですね。

ホラーサーンとは、以下の地域を指します。

ホラーサーン 

現在のイラン北東部の州名。歴史的にはもっと広い地域をさし、アフガニスタン西北部とトルクメニスタンの一部も含まれる。北はアム川から南はルート沙漠やスィースターン、東はバーミヤーンから西はゴルガーンにいたる。(後略)

 (出典:『岩波 イスラーム辞典』055 ホラーサーン)

 

ホラーサーンは、黄緑色の場所になります(大体の目安です)。

Khorasan

 (出典:白地図専門店 3kaku-K., 色は引用者)


切なる願い

記事では、共同文化遺産にすることを推しています。

アフガニスタン戦略研究所所長のシャーヒーン・マルダーンは今回次のように語った。「これをアフガニスタンとイランの共同文化遺産にすることができます。証拠もあります。本件のフォローアップを情報文化省経由で対応していただきたいと思います」

 (出典:同上。和訳は引用者。) 

 

ドゥタールを共同文化遺産にすることは、切実な願いのようです。

記事後半では、これまで他のアフガン文化も他国の文化として登録されてしまっていること、共同での登録ができなかったという話が挙げられていました。 


今回のドゥタールという楽器も、音を奏でるだけではなくて、そこで暮らす人々の歴史や文化、アイデンティティーを形成しているものなのですね。

自分が自分であるために、なくてはならない楽器
だからこそ波風立てても主張していこうとするものなのかもしれません。

今日も読んでくださりありがとうございます。
では。