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アフガニスタン、ダリー語について

この世に目を開く、この世から目を閉じる

What's a wonderful world.

Ibrahim AsadによるPixabayからの画像


こんばんは。

今日は久しぶりに演劇を見ました。
劇中で「苦労も幸せも、人と比べるものではないよ」という台詞が語られていて、心揺さぶられました。

ともすると、他の人は自分より多くを手にして、自分より苦労してなさそうに見えることもあるかもしれません。でも見えているのはわずかで、実際それ以外は分かりません。

だから自分の手の中にある幸せを数えて生きたいと思います。

些細なように見えてとても大切なこととして、「今日も無事に目が覚めた(死んでいなかった)」から始まって、目が見える、耳が聞こえる、香りをかげる、歩ける、朝食が食べられる、など無数にあります。

私の場合、こうして数えていくとすでにもう沢山「ある」ので、他の人と比べる必要はないです。だから、上に書いた演劇の台詞にも共感したのかもしれません。

唯一比較するとすれば、昨日の自分です。
昨日の自分を少しでも超えたい(切実)。
特にダリー語とか、翻訳の技術ももっと磨いていきたいです。

 

ところで、今回は生死に関する表現を紹介しますね。

きっかけは、ダリー語の教科書です。アフガニスタンやペルシアの偉人、詩人の紹介が取り上げられていて、そこで色々な表現と出会いました。

生死に関する表現が日本語でも無数にあるように、ダリー語にも多くの表現がありそうなので、見つけたらこのページに追加していきますね。

 

<「生まれる」の表現>

動詞(句)、(発音)、「直訳」の順に表記しています。

متولد شدن  (mutawaled shodan) 

متولد گشتن  (mutawaled gashtan) 

زاده شدن  (zaada shodan)  

تولد یافتن  (tawallod yaaftan)   「誕生を得る」

به دنیا آمدن  (ba dunyaa aamadan) 「この世に来る」

چشم به دنیا گشودن  (chashm ba dunyaa gushoodan)  「この世に目を開く


この中では、最後の表現が一番好きです。趣があります。
日本語の「開眼」は意味が随分異なりますね。

 

<‍「死ぬ」の表現> 

動詞(句)、(発音)、「直訳」の順に表記しています。

مردن  (murdan) 

درگذشتن  (darguzashtan) 

جان دادن  (jaan daadan)   「(行為者が)命を与える」 

وفات یافتن  (wafaat yaaftan)  「死を得る」

فوت کردن  (foot kardan)

از دنیا رفتن  (az dunyaa raftan)  「この世から去る」

چشم  از جهان فروبستن  (chashm az jahaan furobastan)  「この世から目を閉じる


※最後の表現は、実は日本語にもありました。「閉眼」 と言うそうです。
これまで使ったことはありませんが。

 

<‍番外編>

زنده شدن  (zenda shodan) よみがえる

 
今日も読んでくださりありがとうございます。

では。