こんにちは。
今日は早めに仕事を終えたので、ネットで「裏国民性占い」をして遊びました。
「あなたの性格が、どの国の国民性に近いかチェックしてみませんか」と書かれていたので、楽しみにしていたのですが・・・・・・
結果は、「宇宙人」的な性格!
「あなたは、地球上のどの人種にも当てはまらない、ユニークな性格の持ち主」だそうです。
結果↓
気になる方はこちらからどうぞ。(良かったら結果を教えて下さい!)
さてさて、ダリー語の話をしましょう。
日本ではプレゼントやお土産を渡す時に、「つまらないものですが(お納めください)」と言います。
他には、「心ばかりの品ではございますが」など、へりくだった表現を使いますね。
では、アフガニスタンでは贈り物をするときに何と言うのでしょうか。
贈り物はダリー語でتحفه (tuhfa)、هدیه(hadeya)、سوغات (sawghaat)と言います。
گرچه لیاقت شما را ندارد، بفرمایین.۱
(garche leyaaqat-e shumaa raa nadaarad, bofarmaayeen.)
訳:あなたにふさわしいものではないですが、どうぞ(お納めください)。
برگ سبز تحفه درویش.۱
(barg-e sabz tuhfa-e darweesh.)
直訳:緑の葉がダルウィーシュ(修道者、質素な生き方をする者)の贈り物です。
訳:私はダルウィーシュなので葉っぱのようなものしかお贈りできませんが~
※脱線しますが、ダルウィーシュと聞くと、まずダルビッシュ投手を思い出します。
この単語の意味からか、とても慎ましく謙虚な野球選手という勝手なイメージを持っています。
次にパレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュさんを思い出します。
皆さんはどのダルウィーシュさんを思い浮かべますか?
アフガニスタンも、とてもへりくだる文化なんですね。謙虚です。
この表現を教えてもらった時に、精神性が日本とよく似ていると感じました。
中央アジアの国(アフガニスタン)と東アジアの国(日本)、文化圏が共通しているからなのか、面白いです。
他のアジアの国では、どんな表現をするのでしょう?
この精神性について、新渡戸稲造は著書『武士道』でこう言っています。
他でもない、アメリカで贈物をする時には、受取る人に向ってその品物を賞めそやすが、日本ではこれを軽んじ賤しめる。アメリカ人の底意はこうである、「これは善い贈物です。善いものでなければ、私はあえてこれを君に贈りません。善き物以外の物を君に贈るのは侮辱ですから。」 これに反し日本人の論理はこうである、「君は善い方です、いかなる善き物も君には適わしくありません。君の足下にいかなる物を置いても、私の好意の記として以外にはそれを受取りたまわないでしょう。この品物をば物自身の価値の故にでなく、記(しるし)として受取ってください。最善の贈物でも、それをば君に適わしきほどに善いと呼ぶことは、君の価値に対する侮辱であります。」この二つの思想を対照すれば、窮極の思想は同一である。どちらも「おそろしくおかしい」ものではない。アメリカ人は贈物の資質について言い、日本人は贈物を差しだす精神について言うのである。
出典:新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳『武士道』、岩波文庫、pp.67-68、1938年
太字と色は引用者によるもの。
この説明、分かりやすいと思いました。
アフガニスタンのダリー語でもまさに贈物をお渡しする気持ちを表現しているのですね。
先程の「葉っぱのようなものしかお渡しできませんが」というのは、日本語の「ささやかですが」「心ばかりの品ですが」などとピッタリ合いますね!
遠いはずの国なのに、結構考え方が近くて驚きます。
こういう発見があると面白いし、学ぶのが楽しいです。
では。