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アフガニスタン、ダリー語について

「つまらないものですが」 ダリー語編

Dahila

AnnaERによるPixabayからの画像

 

  

こんにちは。

今日は早めに仕事を終えたので、ネットで「裏国民性占い」をして遊びました。

 

「あなたの性格が、どの国の国民性に近いかチェックしてみませんか」と書かれていたので、楽しみにしていたのですが・・・・・・

 

結果は、「宇宙人」的な性格! 


「あなたは、地球上のどの人種にも当てはまらない、ユニークな性格の持ち主」だそうです。

結果↓

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気になる方はこちらからどうぞ。(良かったら結果を教えて下さい!)

mirrorz.jp

 

さてさて、ダリー語の話をしましょう。


日本ではプレゼントやお土産を渡す時に、「つまらないものですが(お納めください)」と言います。

他には、「心ばかりの品ではございますが」など、へりくだった表現を使いますね。

 

では、アフガニスタンでは贈り物をするときに何と言うのでしょうか

 

贈り物はダリー語でتحفه  (tuhfa)、هدیه(hadeya)سوغات  (sawghaat)と言います。

 

 

گرچه لیاقت شما را ندارد، بفرمایین.۱

(garche leyaaqat-e shumaa raa nadaarad, bofarmaayeen.)

訳:あなたにふさわしいものではないですが、どうぞ(お納めください)。

 

 

برگ سبز تحفه درویش.۱

(barg-e sabz tuhfa-e darweesh.)

直訳:緑の葉がダルウィーシュ(修道者、質素な生き方をする者)の贈り物です。

訳:私はダルウィーシュなので葉っぱのようなものしかお贈りできませんが~

 

※脱線しますが、ダルウィーシュと聞くと、まずダルビッシュ投手を思い出します。
この単語の意味からか、とても慎ましく謙虚な野球選手という勝手なイメージを持っています。
次にパレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュさんを思い出します。
皆さんはどのダルウィーシュさんを思い浮かべますか?

 

 

アフガニスタンも、とてもへりくだる文化なんですね。謙虚です。

この表現を教えてもらった時に、精神性が日本とよく似ていると感じました。

中央アジアの国(アフガニスタン)と東アジアの国(日本)、文化圏が共通しているからなのか、面白いです。
他のアジアの国では、どんな表現をするのでしょう?

 

この精神性について、新渡戸稲造は著書『武士道』でこう言っています。

他でもない、アメリカで贈物をする時には、受取る人に向ってその品物を賞めそやすが、日本ではこれを軽んじ賤しめる。アメリカ人の底意はこうである、「これは善い贈物です。善いものでなければ、私はあえてこれを君に贈りません。善き物以外の物を君に贈るのは侮辱ですから。」 これに反し日本人の論理はこうである、「君は善い方です、いかなる善き物も君には適わしくありません。君の足下にいかなる物を置いても、私の好意の記として以外にはそれを受取りたまわないでしょう。この品物をば物自身の価値の故にでなく、記(しるし)として受取ってください。最善の贈物でも、それをば君に適わしきほどに善いと呼ぶことは、君の価値に対する侮辱であります。」この二つの思想を対照すれば、窮極の思想は同一である。どちらも「おそろしくおかしい」ものではない。アメリカ人は贈物の資質について言い、日本人は贈物を差しだす精神について言うのである。

出典:新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳『武士道』、岩波文庫、pp.67-68、1938年
太字と色は引用者によるもの。

 

この説明、分かりやすいと思いました。

アフガニスタンのダリー語でもまさに贈物をお渡しする気持ちを表現しているのですね。

 

先程の「葉っぱのようなものしかお渡しできませんが」というのは、日本語の「ささやかですが」「心ばかりの品ですが」などとピッタリ合いますね!

遠いはずの国なのに、結構考え方が近くて驚きます。

こういう発見があると面白いし、学ぶのが楽しいです。

では。