こんばんは。
最近アフガニスタンの小4の教科書で学んだسعدی(サアディー)の詩(مثنویات)の一部を紹介します。
サアディーは、西暦13世紀に活躍したイランの詩人です。
代表作はبوستان (buustaan)(『果樹園』)とگلستان(golestaan)(『薔薇園』)。
これまでサアディーの詩を読んだことはありませんでしたが、
ダリー語を学び始めてから、時々教えてもらっています。
تو نیکی میکن و در دجله انداز
که ایزد در بیابانت دهد باز
(tuu neekii mekon wa dar dajla andaaz ke eyzeed dar biyaabaanat dehd baaz)
(出典:アフガニスタンの4年生のダリー語教科書49ページから抜粋、発音表記と和訳は引用者による。)
直訳:お前が積んでいる善行を川に捨てなさい
お前が荒野にいるときに ホダー(神)がそれをお返しくださる
訳:人を助けていたことを忘れなさい
困った時に ホダー(神)がその善行をお返しくださる
この言葉、心に沁みます。
見返りを求めないくらい、自然に善い行いができれば良いですが、私はまだその境地には及びません。
この言葉を読んだときに、そういえば今暮らしている土地(日本国内です)では、見知らぬ人に親切にすることが当たり前で、この言葉を地で行く人々が多いことに思い当たりました。
電車やバスに乗っていても、席の譲り合いを見かけない日はありません。
席を譲られる人 1人に対して、2~3人が同時に立ち上がり、席を譲っています。
(譲り合いの競争?みたいになっているときもあるくらい、シャイなのに親切な方ばかりです。)
呼吸するくらいの自然さで、皆さん当たり前に席を譲ったり、道行く人に声をかけたり。県庁所在地ではあるのですが、都会から引っ越してきて、こんなに素敵な場所があるのだと、心を動かされました。
知らない方とたまたまお話ししているとフルーツをいただいたりとか、温かい言葉をかけてもらったりします。与えっぱなしなのですね。
ここで暮らしている人が全員そうというつもりはないですが、親切な人の割合が多いと思います。人生の素敵な先輩方が大勢います。
元の話に戻ると、これは日本語の 情けは人のためならず と同じですね。
大辞林 第三版の解説
なさけはひとのためならず【情けは人の為ならず】
情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るということ。 〔近年、誤って本人の自立のために良くないと理解されることがある〕
ペルシア語と日本語の文化で、考え方が似ていますね。
似ている所が見つかると面白いです。ワクワクします!
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
では。