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アフガニスタン、ダリー語について

揺れる飛行機の中で思ったことと、昨年何度も見た夢

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Stefan SchweihoferによるPixabayからの画像

 

こんにちは。
今日はダリー語とは関係のない話です。

昨日は東京に用事があり、日帰りで行ってきました。
帰りの飛行機は(事前にアナウンスもされていた通り)結構揺れました。

何度か飛行機に乗っていると、気象条件によってはとても揺れることもありますよね。
今回は恐怖を感じるほどの揺れではなかったですが、それでも一瞬不安になりました。

以前ケニアでセスナ(小型軽飛行機)に乗ったことがあるのですが、
その時は、機体が急降下(まさに垂直落下)しました。
それはそれはかなりの恐怖体験で、文字通り腰が抜けた程の衝撃でした。

ですから飛行機で揺れると、その時のことを思い出します。

 

「死」を意識すると言えば、昨年、何度も自分が死ぬ夢を見ました。

本当にリアルで(といっても実際にはそれがリアルかどうかは分からないのだけれど)
その瞬間はスローモーションになって、実感を伴っていて
「まだやりたいことが沢山あるのに・・・」と無念でありつつも、
仕方ないか、少しはやりたいことがやれた人生なのかもしれないと思っていたら
目が覚めて夢だと知りました。

 

最初は、悪い夢だったと思ってこの夢のことは忘れようと思っていました。

ですが同じような夢を立て続けに何度も見て、感情を体験して、
やはり向き合わなければならない気持ちなのかもしれないと思いました。

 

夢の解釈や暗示は人それぞれだと思いますが、
私にとってはその時に感じた気持ちが大事でとても印象的でした。

 まず、「死」を意識してから、行動が変わりました。

それからは特に、今日が最後の日かもしれないと思って生きようと思いました。
決して、刹那的になるのではなく、一日一日を大切にするという意味で。

今までだったら先延ばししていたことも、
今やりたいことはやっておこう、
会いたい人に会おう、
伝えたいことがある場合、
とくにそれが感謝であったり前向きな気持ちであればなおさら、
相手に迷惑や負担をかけない範囲で伝えようと思っています。

もちろん、やりたいことなどは、未熟な自分なりにやるしかなく、
恥ずかしくなるくらい拙いことも多いです。

また、時間をかけて育みたいと思うことや、長い時間が必要なこともあるので、
すべてを一気にやることもできません。

でもこうやって行動してみるのは気持ちの良いものです。
やってみて分かったのですが、
自分の可能性に蓋をしていたのは実は自分なのですね。

そういう気持ちに至るきっかけになった夢も、
そして時々思い出すきかっけになっている揺れる飛行機も
私にとってはギフトのようなものです。